添い遂げる覚悟

先日、車のエアコンが壊れたので修理をした。1万9,000円也。

半年前の車検で、いろんなとこにガタが来ていてずいぶん修理代がかかったばかりなのに、さらなる修理代である。

 

ワタシが乗ってる車は、16年前に買った軽自動車。

まだ買い替えないの?

いつまで乗るの?

と言ってくる人がたまにいるが、そんなのガン無視。

この車と添い遂げる覚悟はとっくにできている。

 

車の乗り換えの考え方は、人それぞれで、良いも悪いもないと思う。手放した車は新たな人が所有することになるのかもしれないし、解体されて部品として活用されたり、鉄となって再利用されたりするのかもしれない。

けれど、人間でいえば心臓であるエンジンがちゃんと動いている車を古くなったからという理由で手放すことにワタシは抵抗がある。

 

人間だって、古くなる。年をとって、あちこちガタがくる。

ガタが来たからといって、自分の体を手放すことはできない。売ることもできない。廃棄することもできない。心臓が動く限り、薬を飲んだり、入院したり、手術をしたりして、自分の体をあちこち修理しながら何とか生きてかなきゃならない。

 

それなのに、物は、古い、見た目が悪い、機能がない、燃費が悪い、省エネじゃないという理由で、まだまだ動いて活躍できるものが結構簡単に処分されてしまう。

 

タチの悪いことに、経済を回すとか何とかいって、これを国を挙げてやっている今の世の中。

家を新築すれば税金を優遇

新車を買えば税金を優遇

登録から13年を過ぎた車には罰金のように税金をあげ

省エネや高機能を謳い文句に新商品への買い替えに補助金を出す

 

自分がしたことは自分にかえってくるという。

因果応報。

 

新しい物を歓待し、古い物を忌避する社会の先には、人が捨てられる未来が待っているのかもと想像してしまう。

だから、縁あって自分の元へやってきた物は、最後まで大切に使おうと思うのである。